|
身体のいろいろな部分が痛かったり、不快に思ったりする時、人間は本能的に触ったり、こすったり、揉んだりするでしょう。そして無意識に行われるそういった行動は、人間の進化にまでさかのぼることができるのです。人間だけでなく、多くのほ乳類は、彼ら自身で手足をこすったり、傷をなめたりしています。ただ、私たち人間は、長い年月の中で、これらの行動を体系づけたり、記憶したりすることによって、現在のマッサージが発展してきたのです。
マッサージについての記述が歴史上出現するのは、今から5000年以上前にさかのぼります。タイには中国の黄皇帝(Huang-Ti)の時代に伝えられたという歴史的な記録もあります。紀元前1800年頃のインドの文献アーユルヴェータには、身体をいやし、丈夫にする方法として記されていました。このようなマッサージに関する記述は、世界中でそれぞれの文化や医学的な参考文献と絡み合って、数多く存在しているのです。聖書にも、このような表記は多く見られ、有名なものでは、病気を治す方法として「横になって手をかざす(laying-on-of hands)」というものがあります。
タイマッサージの起源は、今から2500年前にさかのぼります。タイ医学の歴史上の創始者は、シバコ(シバコ・コマラパ/ジバカ・クーマーラバッチャ/耆婆/Shivaga Komarpaj)というインドから来た医師ということになっています。彼はブッダと交流を持っていた人物で、サンガというブッダを中心に形成された仏教僧集団の筆頭医師であった人物で「医学の祖」と言われています。タイマッサージの技術を霊感によって導き出しただけでなく、ハーブやミネラルに備わっている癒しの力をも発見しました。今日でも「father of medicine」として尊敬され、宗教的なセレモニーでも登場してきます。
仏教教典によると、シバコ(耆婆)は、ブッダの主治医であり「四部律」には、彼に関するエピソードが6つ書かれています。シバコ(耆婆)の最初の治療は11年間も頭痛を患っていた患者の鼻に酥(バター)で煮た薬を注ぎそれを吐き出させて治したという話。第2は痔で困っていたビンビサーラ王を湯を満たした鉄槽の中に座らせて眠らせ、患部を切り取って消毒して完治させた話。第3の治療は、柱に縛った子供の腹を刀で開き、腸捻転(ちょうねんてん)を治し縫合した話。第4は、脳手術。頭痛で悩んでいる患者に多量の塩分を含んだ食事の後、酒を飲ませて酔わせ、頭骨を刀で開いて脳を取り出し、酥(バター)と蜜で脳をよく洗い縫合して頭痛を治した話。第5も頭痛治療で薬嫌いの王に薬を与える話。第6は、数日間に渡ってブッダの中に満たされていた悪い体液を香や塗油、水浴などで治した話。このようにシバコ(耆婆)の医療技術は今日でも通用するほど高いもので当時の仏教医学のレベルの高さをうかがうことができます。
|
|
タイには、今から2500年程前に、仏教の僧侶たちがインドからタイに移り住む形で、仏教が伝来しましたが、マッサージの技術もこれと同時に伝わったと考えられています。その後、1292年に当時の国王ラマ・カムヘン王(Rama Khamheng)によって小乗仏教の一派であったテラヴァータ仏教が国教として定められ、タイ医学は仏教との深いかかわり合いを持ちながら、ワットと呼ばれる寺院で保護されながら発展していくことになるのです。残念ながら、19世紀前半以前のタイで、歴史上どのような形で医学が発展したかは、ほとんど何もわかっていないのです。
当時の人々の社会生活の中心はワットよばれるタイ寺院であり、タイ医学は何世紀にも渡って、師匠から弟子たちへ口頭で伝えられてきました。仏教の教典が口頭で伝えられたのと同じです。当時の医学書はヤシの葉に記され、仏教の経典と同様に非常に権威のある存在として、当時の王朝アユタヤに保管されていたのですが、1767年のビルマ軍の侵攻によって壊滅に追い込まれたのです。医学書のみならず、経典や政府の記録までもが、ほとんど全て失われてしまったのです。
その後、タイ国王ラマ3世によって、1837年にわずかに残った医学書はバンコクのワット・ポーで石碑に刻まれ、よみがえることになったのです。これらの記録には、人体を流れるエネルギーライン「セン」が描かれ、前面 図、背面図合わせて60枚の石碑に刻みこまれたのです。これらの歴史的資料は、現在でもワット・ポー(プラ・チェトゥフォン王立寺院)の敷地内の壁にはめ込まれ、私たちも目にすることができます。 |
|
このタイで発展した伝統的なマッサージは、数百年も前から病気の治療法として、臨床的に実践されてきました。このマッサージは、古代インドや中国の影響を強く受けており、長い年月をかけて母から子へ、師匠から弟子たちへと、口頭で伝えられたものなのです。タイは仏教の国として知られていますが、「ワット」と呼ばれるタイの仏教寺院が、かつて庶民のコミュニケーションの中心地でした。「ワット」は仏教の教えを学ぶ場であるのと同時に、マッサージ法を学ぶ場でもありました。西洋医学が流入する以前には、病気の家族を手当てするために、人々は僧侶にマッサージの手法を相談して治療を行っていたのです。このようにヌアボーランは、仏教と深い関係を持ちながら発展してきたのです。マッサージをする前に「ワーイ」と呼ばれる合掌を行い、健康と幸せに祈りを捧げますが、これが寺院で発展を遂げた名残なのでしょう。そこには、ただ気持が良くなり、健康になるだけでなく、相手を思いやるという仏教の教えが込められていたのです。 |
|
近年の西洋医学の発展とともに、このマッサージは次第に影をひそめました。タイ国内においてさえ、人々から見向きもされず、影に葬り去られる時代が続いてきたのです。タイマッサージは、仏教と共に何世紀にも渡って発展を遂げてきました。仏教の教えの中で、「マッサージは4つの心で行え。」とあります。その4つとは、親切心(loving kindness)、哀れみ(compassion)、他人の身になって喜ぶ(vicarious joy)、心の平静(equanimity)、です。タイでは、こういった奉仕の精神が仏教を通 して教えられ、こういった背景の中でタイ医学は営利主義から守られてきたのです。こういった理由から、タイマッサージは仏教の寺院の行事として、社会奉仕の一環として行われてきたものなのです。しかし、西洋医学の促進と同時に、健康面 に関する寺院の役割は、次第に不明瞭になり、タイマッサージは暗黒の時代をさまよい続けました。
しかし、今日世界的に東洋医学が見直され、タイ国内においても、「タイマッサージリバイバルプロジェクト」がおこり、マッサージは健康に非常に効果的な方法として、西洋医学との両立が考えられるようになってきました。21世紀を迎え、新たな医学への取り組みが始まったばかりなのです。 |
|
カター プチャー バロマクー ぺェ-シワカ・ゴーマラ・パッに捧げるマントラ |
|
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
オーム ナモー シワゴー スィラサーアハン ガル二コー サッパ サッターナン オーサッカ ティッパ マンタン
プラッパーソォー スリヤージャンタン ゴーマラワットー パッカーセェースィッ ワンタ-ミッ パンティットー スメータト- スマナホーミ
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
オーム ナモー シワゴー マラ パッ ジョー プー チャー ヤ |
|
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
サハムティ サムハカトー セェーマータン
パッタ セェマーヤン サハ二 タムポー エーワン エーヒ
ナトーッ モートォン プッコーン タ-クァン
ヤルアン ルッローイ ハァーイ
サッワハ サッワーハァーイ |
|
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
ナモ- タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプッ タッサン
プッタン パッチャ カーミ タンマン パッチャ カーミ
サァン カン パッチャカーミ |
|